御車山の車輪搬出(6/4)

文化財の修理修復

6月4日(土)に行った、修理のための御車山車輪の
山蔵からの搬出の模様をご紹介します。
その前に、御車山とは…
かつて太閤・豊臣秀吉公が後陽成天皇と正親町上皇を
聚楽第へお招きする際に使った御所車を
加賀百万石の殿様、前田利家公が拝領されまして
その後二代藩主利長公が高岡の町人に下賜され
その車を模して他6基の山車を高岡の工人が作り上げた
重要有形文化財(お祭りは無形文化財)です。
独特の花笠山スタイルが、優美でもあり、どこかかわいらしくもあり。
山車とお祭りの詳細については、高岡御車山公式HPへどうぞ。
(高岡は加賀藩領内で、利長公は高岡に築城しようとなさったのですが
一国一城令により建築初期のうちに取り壊しとなりました。
城の縄張りは高山右近とされ、現在もお城そのもののような構成と
大きな石を使った石垣などが残る、屈指の水濠公園として残っています。
廃城のあとは藩の米蔵・番所等として、明治に入って払い下げられてからは
市民憩いの公園として、そして幻の城であるにもかかわらず日本100名城に選ばれ、
高岡のシンボルとなっています。)
…おっと、お城の話が長くなりました
で、この7基の山車のうち、一番街通の車輪修理が
現在高岡地域文化財等修理協会の皆さんによって手がけられており
その修理作業のために、当センターの工房へ車輪を移動した…ということになります。
前輪を外す
山蔵の中では、上部の人形などは取り外され、地山(囃子方さんが入る部分)と
車輪の状態にしてあるそうです。
↑写真は、まずは山車を牽き出し、車輪を外して傾かないよう
クレーンで上に引き上げておき、片方の車輪を外したところ。
左側に伸びている布を巻いた部分が、車を牽く部分になります。
下に当っているのは、車輪を取り外した時にかませておくために作った
車輪付きの台車です。
前輪をこうして外し、センターへ運んでいる間に、今度は後輪を外す作業。
蔵の奥へ車体を移動させ、今度は後部を吊り上げて、後輪を外します。
積み込み
↑大変重いので、荷台への積み込みもクレーンで。
外した車輪
↑車輪を積み込む前に、いろいろと確認。
監修の林富山大学教授、修理協会会長の人間国宝・大澤光民先生はじめ
錚々たる(作業服なのでご存知の方にも分かりづらいかもしれませんが…)
関係者の皆さんがそろっておられます。
そうして積み込んだ車輪がセンターへ届いた様子は、
過去の記事をごらん願います。
修理は今月半ばあたりから始まるもようです。